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ジーン・ウェブスター(松本恵子訳)『あしながおじさん』(新潮文庫)を読みました。
児童文学の中でも、かなり知られている作品だと思います。ずっと孤児院で暮らしてきたジュディが、謎の大金持ちの援助を受けて大学に通い、少しずつ成長していくというお話です。
援助の条件は1つ。その謎の大金持ちに宛てて、自分の学生生活を綴った手紙を送ること。物語はプロローグを除くと、すべてジュディから謎の大金持ち「あしながおじさん」への手紙という形式になっています。
まずこの手紙という形式について少し書きます。
正直なことを言うと、ぼくは手紙の形式である書簡体小説はスタイルとして、あまり好きではありません。
手紙というのは、客観的な描写(自分の感情を交えずに書いたもの)をするものではなく、1人の意識に内包され、多分に感情が含まれて書かれるものです。なおかつ自由な表現ではなく、決まりごとのある堅苦しい文体になります。
着るものでイメージしてみてください。Tシャツ、ジャージだと楽ですが、スーツや着物だとちょっと窮屈というか、億劫な感じですよね。手紙の文体というのは、そうした場をわきまえた、重々しいものになりがちです。
言うなれば公園で走り回るには向かない文体であって、複数の登場人物の感情の揺れ動きの描写に欠け、物語のスピード感は失われます。
モンゴメリーの『赤毛のアン』やシュピーリの『ハイジ』は、元気いっぱいの女の子が、いつしか頑なな大人の心を溶かしていくのが面白いところでした。
ところが『あしながおじさん』の場合は、手紙のキャッチボールではなく、ジュディが一方的に書いていくだけなので、相手の反応というのは分かりません。ジュディのことは分かりますが、周りの人がジュディをどう思っているのかは分からないんですね。
では、そうしたスタイルの『あしながおじさん』がつまらない作品かと言うと、これが実はすごく面白いんですよ。そうした退屈なスタイルを吹き飛ばすくらいの、ユーモアあふれるジュディの文章が光ります。
たとえば、次の文章を読んでみてください。
普通新入生は一人部屋はもらえないことになっているのでございます。部屋数が少ないからでございます。それだのに私は頼みもしないでちゃんと一人部屋をもらえたのでございます。これはきっと庶務係がまともに育ったお嬢さまと孤児とを同じ部屋に置くのは正当でないと考えたせいだと存じます。こういう得をすることもあるものでございます!
私の部屋は西北の隅で、窓が二つといい眺望がございます。十八年間二十人の同室者と一つの部屋で暮らした身にとって、一人でいるということがとても安らかな気持でございます。今度はじめて私はジルーシャ・アボットと近づきになりました。私は彼女を好きになれそうでございます。
おじ様はいかがでいらっしゃいましょうか?(22ページ)
やや堅苦しい文章ですが、後半はもっと力の抜けた感じになっていきます。庶務係が本当にそう思ったかどうかは分かりませんが、「こういう得をすることもあるものでございます!」がなんだかユーモラスですよね。
ジルーシャ・アボットというのはジュディ自身のことです。ジュディはずっと孤児院で育ったので、自分一人の空間というのを持ったことがなかったんですね。そうした環境になった時、「私は彼女が好きになれそう」と書くこと。この観点は、すごく素敵だと思います。
ジュディは単に教育を受けるために大学に行くのではなく、その文才が「あしながおじさん」の目に止まったんですね。「憂うつな水曜日」という作文のユーモアが認められて、作家の勉強をしに大学に通うようになるんです。
たくさんの本を読み、小説を書き、休暇を過ごし、学生生活をウィットに富んだ生き生きした文章で手紙に書きます。
たしかに複数の登場人物との関係というのは描かれません。しかしそれだけにかえって、ジュディの作家として、そして一人の女性としての成長が、より強く感じられる作品です。すごく魅力的なんですよ、ジュディって。
ぼくは『あしながおじさん』を読んでいて、どちらの立場でこの物語を読むかは結構迷いました。つまり、新しい生活に目をきらきらさせているジュディの側に立つのか、それとも天真爛漫なジュディから手紙が送られてくる「あしながおじさん」の側に立つかです。
この立場の違いで、物語の印象は変わってくるようにも思いますが、ぼくは途中からは自然と「あしながおじさん」の側に立ってましたね。
「私がなぜ現在ひきがえるの採集を始めないかと申しますと、集めてはならぬという規則がないからでございます」(56~57ページ)や「かりに体育館のプールにレモン・ゼリーがいっぱいになっていたら、その中で泳ぐ人は表面に浮いているでしょうか、それとも沈んでしまうでしょうか?」(84ページ)などと書いてくるジュディに、思わずほほえんでしまう感じです。
みなさんはどうですか?
はっきりストーリーを知っている方はまあともかく、なんとなくぼんやりしたイメージはあるなあぐらいの方は、ぜひ読んでみてください。展開をあまり知らないで読むと、今なおかなり楽しめるはずです。面白いですよ。
作品のあらすじ
プロローグでは孤児院の「憂うつな水曜日」が描かれます。毎月の第一水曜日には、評議員が視察にやって来るんですね。少し違いますが、学校の授業参観をイメージすると分かりやすいかもしれません。
普段がちゃんとしていないわけではなくても、なんとなく、「ちゃんとしなきゃ」という張り詰めた空気になりますよね。ジルーシャ・アボットは孤児院の中でも一番年上なので、小さな子供たちの面倒を見たりして、大忙しです。
なんとか無事に視察が終わったので、ジルーシャがほっとしていると、トミー・チロンが歌いながらやってきます。その歌詞は、孤児院の院長がジルーシャのことを呼んでいるというもの。
トミーはこの場面にしか登場しませんが、ぼくはツボでしたね。笑いました。「ことにトミーはこのお姉さんに腕をつかんでぐいと引っぱられたり、鼻がもげそうになるほど顔をごしごし洗われたりすることがあるが、ジルーシャが好きであった」(8ページ)という一文もグッド。
院長の元へ向かう途中、ジルーシャは最後の評議員が帰るところを見ます。背の高い男の人。こんな風に書かれています。
その人はカーブした車道に待っている自動車の方へ手をふった。車が急に動き出して近づいてきたので、一瞬、ぎらぎらしたヘッドライトが正面から照らしつけてその人の影を家の中の壁にくっきりと投げた。その影は手足を床から廊下の壁にかけて気味が悪いほど大きくえがき出した。それはまるで、もぞもぞしている巨大な足長とんぼのように見えた。(9ページ)
院長になにを怒られるのかとびくびくしていると、なんとその男の人が、ジルーシャの文才に目を止め、作家になるための勉強をしに、大学に行かせてくれるというんです。その代わり、時おり学生生活を手紙に書いて送ること。
こうしてジルーシャの大学生活が「あしながおじさん」への手紙を通して描かれていくことになります。ジルーシャはやがてジュディという愛称になるので、ここからはジュディと書きますね。
謎の大金持ちは、「ジョン・スミス」と名乗っているんですが、これはもう明らかに偽名なんです。「山田太郎」とか「鈴木一郎」みたいな感じでしょうか。
そこで、ジュディは「ジョン・スミス」さんを「あしながおじさん」と呼ぶことにします。たしかなことはそれだけなので。
ジュディは、周りの生徒たちと、あまりにも育ってきた環境が違うんですね。現在で言えば、テレビやゲームをまったくやらずに育ったようなものだと思ってください。そうすると、みんなと話があわないんです。
そのテレビやゲームにあたるのが、ブロンテ姉妹の小説や、オルコットの『若草物語』だったりするので、ジュディは読書にのめり込むようになります。
勉強をし、本を読み、小説を書くジュディ。小説はなかなか結果が出ませんが、諦めずに書き続けます。
ジュディはユーモアがあって、なおかつしっかり芯の通った女性です。初めは「あしながおじさん」ありがとう、感謝感激雨あられという感じですが、段々と自己主張をはっきりするようになります。もちろん返事はありませんけれど、手紙でケンカしたりもするんですよ。
ジュディは、「あしながおじさん」におんぶにだっこで済まそうというのではなく、そのお金をいつか返そうと考えているんですね。なので、奨学金を取るためにがんばったりします。
学生として、作家として、そして一人の女性として、少しずつ成長していくジュディ。しかしある時、ジュディはこんな手紙を書くことになります。
「おじ様、ある事が起きました、それで私は忠告が必要なのです。その忠告を誰からでもなくおじ様から伺いたいのです。おじ様にお目にかかるのは不可能でしょうか?」(205ページ)
ジュディの身に起こった「ある事」とは一体? そしてジュディは「あしながおじさん」に会うことができるのか!?
とまあそんな物語です。とにかくジュディが魅力的なんです。本好きという点だけとってもいいですね。ジュディが読んでいる本は読んでみたくなります。しかも名作ぞろいです。
手紙にはジュディが描いたという設定のイラストがついているんですが、これが下手くそなんですよ。特に「あしながおじさん」想像図(36ページ)はあまりにもひどすぎて、思わず「ぶほっ」と吹き出してしまいました。
全体的にすごくほっこりした気分になれる物語です。なんとなく知ってはいるけれど、ちゃんと読んだことはないであろう『あしながおじさん』。興味を持ったら、ぜひ読んでみてください。
明日は、続編の『続あしながおじさん』を紹介する予定ですので、お楽しみに。